第1話から第3話までは、私が自動車整備士を目指したきっかけや、専門学校、資格取得、整備士として働き始めるまでの経験を、新人新治との会話を通して振り返ってきました。
しかし、整備士になることと、整備士として働き続けることは別の話です。
車の知識や整備技術を身につけても、実際の現場では、仕事量、人手不足、お客様への対応、売上、安全を守る責任、上司や同僚との関係など、技術だけでは解決できない問題に直面します。
第4話から具体的な整備現場での体験へ進む前に、今回は特別編として、車業界で働く人が抱えやすい苦しさと、それでもこの仕事を続ける意味について考えます。
朝、まだ街が静かな時間にシャッターを開ける。
冷えた作業場で缶コーヒーを飲みながら、今日の予定を確認する。
予約作業、車検、故障診断、部品の手配、電話対応。予定表には書かれていない飛び込みの依頼やクレームも、いつ入ってくるか分からない。
それでも、お客さんから車を預かった以上、途中で投げ出すわけにはいかない。
車業界では、そんな一日が当たり前のように始まります。
※六車ガレージは、車検・整備の知識を伝えるために作った架空のガレージです。この記事は、車業界で働いてきた経験や、現場で見聞きした課題をもとに執筆しています。
車の仕事は「車を触るだけ」ではない
車が好きで、自動車整備士や検査員、自動車販売などの仕事を選んだ人は少なくありません。
しかし、実際に働き始めると、車の知識や技術だけでは乗り越えられない場面が数多くあります。
現場では、次のようなものを同時に求められます。
- 安全を守る責任
- 限られた時間で作業を終える速さ
- ミスを防ぐ正確さ
- お客さんへの説明力
- クレームへの対応
- 法令や基準に関する知識
- 売上や作業件数への意識
- 後輩や新人への指導
どれか一つだけを守ればよいわけではありません。
急げばミスの危険が高まり、慎重に確認すれば作業が遅いと言われる。お客さんの希望に応えようとしても、安全や法令に関わることなら断らなければならない。
車業界の難しさは、こうした相反する要求の間で、現場が判断を続けなければならないところにあります。
「安全のため」が現場の負担になることもある
車に関わる仕事では、安全が最優先です。
この考え方自体は、間違っていません。
しかし、現場の人数や作業時間を考えずに、新しい確認事項や書類だけを増やしても、本当の意味で安全になるとは限りません。
その状態で「これまで以上に安全を徹底しろ」と言われれば、現場はどこかで無理をすることになります。
人を増やさない。時間も増やさない。仕事の量も減らさない。
一つ一つの指示には正当な理由があっても、それが積み重なれば、誰かの残業や我慢によって支えられる仕組みになってしまいます。
安全を守るためには、注意を呼びかけるだけでなく、安全に働ける人数、時間、設備を用意する必要があります。
ギリギリの人数で回り続ける現場
車業界の現場では、人手不足が慢性化している職場もあります。
一人が休めば、その仕事を別の誰かが引き受ける。新人が入っても、十分に教える余裕がない。忙しいために新人が成長できず、仕事を覚える前に辞めてしまう。
そして、残った人の負担がさらに増えていきます。
「今は忙しいから仕方がない」
そう言いながら乗り切っているうちに、非常時だったはずの働き方が、いつの間にか日常になってしまうことがあります。
真面目で責任感の強い人ほど、
「自分が休んだら周囲に迷惑がかかる」
「自分だけ弱音を吐くわけにはいかない」
と考えてしまいます。
しかし、誰かが限界まで頑張らなければ回らない職場は、すでに仕組みとして無理が生じています。
個人の根性だけで解決できる問題ではありません。
現場を苦しくするのは、仕事量だけではない
忙しくても、周囲と協力できる職場なら乗り越えられることがあります。
反対に、仕事量がそれほど多くなくても、上司との関係が悪ければ、出勤するだけで苦しくなることがあります。
部下が相談しても、
「前例がない」
「それくらい自分で考えろ」
「好きでこの仕事に入ったんだろう」
と片づけられてしまう。
問題が起きたときには現場の責任にされる一方で、改善を提案すると否定される。
このような状態が続けば、部下は次第に意見を言わなくなります。
上司から見れば「何も提案しない部下」に見えるかもしれません。しかし実際には、提案しなくなったのではなく、何を言っても無駄だと学習してしまった可能性があります。
人が黙っているからといって、納得しているとは限りません。
厳しい指導と、部下を追い詰める言動は違う
車の仕事では、小さなミスが重大な事故につながる可能性があります。
そのため、ときには厳しい指導も必要です。
しかし、仕事上の間違いを指摘することと、その人の性格や能力、過去まで否定することは違います。
健全な指導では、
- 何が間違っていたのか
- なぜ危険なのか
- 次からどうすればよいのか
が具体的に伝えられます。
一方で、部下を追い詰める言動では、
- 「だからお前は駄目なんだ」
- 「この仕事に向いていない」
- 「みんな我慢している」
- 「昔はもっと厳しかった」
といった言葉で、問題が個人の弱さに置き換えられます。
必要なのは、部下を怖がらせることではありません。
同じ失敗を繰り返さないための知識や方法を伝え、安全に仕事ができる人を育てることです。
新人が辞めるのは、根性がないからなのか
新人が辞めると、
「最近の若い人は続かない」
「覚悟が足りない」
と言われることがあります。
もちろん、仕事との相性や本人の事情もあるでしょう。
しかし、同じ職場で新人が何人も辞めているなら、個人の問題だけでは説明できません。
質問しにくい雰囲気になっていないか。失敗したときに必要以上に責めていないか。教える人によって説明が変わっていないか。新人が仕事を覚える時間を確保できているか。
こうした点を確認せず、辞めた人だけを責めても、次の新人が同じ理由で辞めていきます。
人を採用するだけでは、人手不足は解消しません。
働き続けられる環境をつくらなければ、ベテランの負担も減らないのです。
上司にも上司なりの苦しさがある
部下から見れば理不尽に思える上司も、さらに上から数字や結果を求められていることがあります。
人員を増やしたくても認められない。予算もない。部下を守れば、自分が責任を問われる。
管理職にも、管理職なりの苦しさがあります。
ただし、それを理由に部下へ負担を押しつけてよいわけではありません。
上司に必要なのは、すべての問題を一人で解決することではなく、現場の実情を把握し、できないことを「できない」と上に伝えることです。
部下の前で立派な言葉を並べるだけでは、信頼は生まれません。
現場が苦しいときに一緒に考え、必要なら矢面に立つ。その姿勢がある上司には、部下もついていこうと思えるのではないでしょうか。
我慢し続けることだけが責任ではない
責任感の強い人ほど、職場から離れることを「逃げ」だと考えてしまいます。
しかし、心や体を壊すまで働くことが責任ではありません。
つらい状態が続いているなら、まずは起きた出来事や言われた内容を記録する。信頼できる人や相談窓口に話す。可能であれば配置転換や業務調整を申し出る。
それでも状況が変わらなければ、職場を離れることも一つの選択です。
車の仕事を辞めることと、車を嫌いになることは同じではありません。
職場が変われば、身につけた技術や知識を別の形で生かせる可能性もあります。
自分を守るために環境を変えることは、決して無責任ではありません。
それでも、現場で守ってきたものがある
車業界の仕事は、華やかなことばかりではありません。
油で汚れ、汗をかき、難しいお客さんにも対応する。書類や会議に追われながら、限られた時間で安全を確認する。
努力しても、何も起きなければ評価されない仕事でもあります。
しかし、整備や検査が適切に行われた車は、今日も誰かを職場へ運び、家族を迎えに行き、大切な人を乗せて走っています。
何も起きない日常の裏側には、現場で働く人たちの仕事があります。
だからこそ、私はこの仕事に誇りを持ってよいと思っています。
ただし、その誇りを理由に、苦しさまで我慢する必要はありません。
仕事への誇りと、自分自身を守ることは両立できます。
社長のひとこと
車の仕事は、決して楽ではありません。
それでも現場に立ち続ける人がいるから、誰かの日常が守られています。
だから、現場で働く人の責任感や善意に甘えるだけの職場であってはいけません。
部下は上司の道具ではなく、上司もまた会社の道具ではありません。
お互いが一人の人間として尊重されなければ、どれだけ立派な理念を掲げても、現場はいずれ壊れてしまいます。
もし今、仕事量や上司との関係に悩みながら働いている人がいるなら、自分の弱さだけが原因だと思わないでください。
逃げたい夜があってもいい。立ち止まる朝があってもいい。
それでも今日まで守ってきたものや、身につけた技術が消えるわけではありません。
ギリギリの時代に、ギリギリの心で現場を支えているすべての人へ。
今日も、本当にお疲れさまでした。
ここまで、車業界で働く人が抱えやすい責任や、人手不足、人間関係について振り返ってきました。
しかし、整備現場で起きる苦労は、職場環境だけではありません。
原因が分からない故障、症状が再現しない異音、正解が一つではない部品交換、お客様へ納得してもらうための説明など、整備士は日々さまざまな判断を求められます。
第4話からは整備士の整子とともに、私が実際の整備現場で経験した失敗や迷い、そこから学んだことを、より具体的に振り返っていきます。



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